網よ聞いてくれ

音楽に関する雑記。

1stMusic: オトノアルクラシ 〜ラジオのように

音楽の神様

小学生の頃、親の勧めでエレクトーンを習った。後で訊いたら、ヤマハ音楽教室戦略というのは僕の世代を席巻したらしいので、僕もその戦略に載せられた一人だということになるのだろう。ただ戦略になかったのは、僕が練習嫌いで、ちっとも演奏が上達しなかったことだ。でも楽譜が読めるようになったことは後々、良かった。

まったくエレクトーンを弾かなかったくせに、高校時代、大学に入ったらギターを弾こう、と思っていた。ギターを弾けば女の子にモテる、と思っていた。目論見と違ったのは、「ギターを上手に弾ければ」モテるという条件だったことだ。練習嫌いがギターを上手になるはずはないし、ギターが下手な男が音楽サークルでモテるはずはない。

社会人になってから知り合った、とある女性ピアニストに言われたことがある。当時の僕は音楽を弾く人たちと交流があり、まだ未練たらしくギターを弾こうとしていた。演奏が拙くて卑屈になる僕に、「音楽の神様は寛容で、どんなミスをしても命までは取らないんだよ」と教えてくれた。

それからもう10年近く過ぎた。僕のギターは何年もケースから出さないままになっているが、2歳の娘に電子ピアノを買った。電子ピアノの選定にあたっては、大学時代、練習そっちのけで通い詰めた楽器屋巡りのささやかな知識が役に立った。そして今、娘のために、小学生の頃にエレクトーン教室で習った曲をたどたどしく弾いている(娘はまったく聴こうとしないし、僕の演奏を止めて自分が弾きたがる)。 f:id:mogami74:20151202223701j:plain

音楽の神様は、僕に演奏の才能はくれなかった。それはだいぶ人気の才能なので、品薄なのだろう。僕に回す分はなかったのだ。でも音楽の神様は寛容で、代わりに、僕に音楽を楽しむ才能は与えてくれた。僕はそのことに感謝している。

オトノアルクラシ

大学の先輩が卒業するとき色紙に「音のある暮らしを末永く」と書いた。オトノアルクラシ、という言葉の音が気に入っている。自分でもそういう暮らしをしたいと思っている。

けれどいつのまにか僕は新しい音楽を聴かなくなった。400枚あるCDは、iTunesに取り込んでしまってからというもの、部屋の一角を占めるオブジェみたいになっている。iTunesで聴く音楽も代わり映えしない。250円で、まるでジュークボックスのように気軽に音楽を買える時代になったというのに(今や定額制でもっと気軽になりつつあるが)、僕はよりいっそう、音楽から離れてしまった。

“Music was better back then”: When do we stop keeping up with popular music? | Skynet & Ebert

はてなブログを始めるついでに、自分のための音楽ブログをやってみよう、と思い立った。懐かしい音楽を買いそろえるのもいい。iTunesのオススメに従って買ってみるのもいい。オトノアルクラシをもう一度。

喋りの下手な僕には、ラジオパーソナリティのようなことはできないが、ブログなら書ける。このブログは、僕のラジオ番組、ということになる。だから最初に紹介する一曲目には、大好きな鈴木祥子さんのアルバム『Radiogenic』から「ラジオのように」をお届けしたい。

ラジオのように

ラジオのように

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私に音楽の神様を紹介してくれたピアニストの彼女に。感謝を込めて。あなたは鈴木祥子さんのように素敵だと、いつもひそかに想っていました。

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