ファイト!
僕が音楽らしい音楽を、ラジオなどの媒体を通して能動的に聴くようになったのは、中学生の半ば以降だった。別に早いとも遅いとも思わない。ただ楽器を弾く人の多くはもう少し早くから歌謡曲に興味を持つようだ。
中学校3年生のぼくの周りにあふれていた/ありふれていた音楽の中で、中島みゆき「ファイト!」がもたらした衝撃を、どう表現していいのかわからない。
https://itunes.apple.com/jp/album/faito!/id118351254?i=118351250&uo=4&at=10l8EF
それは小学校6年生のぼくにゆうきまさみのコミック『究極超人あ~る』がもたらした衝撃と逆方向のベクトルで、今の僕のバランスをとっている。
初めて聞いたのは渡辺美里のラジオの番組で、その直後にラジオ「ジョイフルポップ」の金曜日担当に中島みゆきが入ると知り、毎週楽しみに聞いていた。音楽の雰囲気とはまるで違うみゆきさんのパーソナリティがまたよかった。
詞先で歌を作るという噂のみゆきさんが、ラジオの中で曲作りについてふざけ半分に話していたのを覚えているー。リスナーのお便りで、アレンジに悩んでいます、というようなことだったと思うのだが、みゆきさんは「人にお願いするのもいいんじゃないですかね」というようなことを言っていた。歌詞を書いて曲を書いて、ギターの○○のところに持っていくと、なんかいいように作ってくれるわけですよ。ちょっと違うなーと思ったら△△のところに持っていくと、また作ってくれるわけで。
そんな音楽作りの様子を楽しそうに話していた。
彼女は、音楽の文学的側面というものを考えさせてくれた。もともと10代の頃の私は歌詞を重視する傾向が強かった。そこにぴったり合ったのがみゆきさんだったのだ。
片桐麻美
ポスト中島みゆき的な(実際には、中島みゆきさんの方が現役を続けているのでこの表現は不適切だが)位置づけで、僕が出会った文学性の高い音楽を挙げるとしたら、片桐麻美さんを挙げずにはいられない。
→片桐麻美 - Wikipedia
たぶん僕が初めて片桐麻美を聞いたのは、中古で見つけたアルバム『鏡をこわす』だったと思う。何気なく買って、とてもよかった。
1曲目の「グレーのスーツ」の伸び伸びとした声と、少し寂しさを感じさせる歌詞もよかったし、2曲目「三百六十五歩のバラード」のはつらつとした歌声もよかったし、「微熱」のキュートな乙女心も良かった。要するに、このアルバムにぞっこんだったわけだ。
ラジオコンサートの番組で、片桐麻美と遊佐未森とが共演したことがある。あのときラジオから録音した音源テープが、今では失われてしまったのが残念だ。片桐麻美はギター一本で弾き語りをしていて、アルバム『やわらかな心』収録曲を中心に弾いていたと思うけれど、アルバムの編曲よりも弾き語りの方がかっこよかったりした。
アレンジャーによってだいぶばらつきがあって、あまり僕の好みではない編曲のアルバムもあるが、90年代のアルバムは非常にまとまりがよくて素晴らしい。熟練を感じさせる。
※「LOVER'S ROCK」までのアルバムタイトルと同名の曲は、次に発売されたアルバムに収録されるのが特徴である。
とある通り、彼女のアルバムは、アルバムタイトルが次のアルバムの収録曲タイトルになっているという不思議な構成になっていた。『言葉がみえる時(1991)』の次のアルバム『鏡をこわす(1992)』の最後の曲は「言葉がみえる時」なのだ。 こうしたアルバム間のつながりも、どこか文学的な、インターテクスチュアリティを感じさせる。
これなどは、中島みゆき「髪を洗う女」を彷彿とさせる凄みがある。
Like a Rolling Stone / 片桐麻美 - YouTube
カバー曲。片桐麻美の日本語詞(ライナーノーツには「訳詞」とは書いていない)が非常に冴えている。
ギターを弾いていた頃は、片桐麻美の歌を片桐麻美のようにかっこよく弾きたいなぁ……と思って耳コピーにいそしんでいた。「グレーのスーツ」は一人でゆっくり弾いて歌っていると、とても気持ちいい。
ベストアルバム『Northern Songs』も大好きなアルバムの一つ。一曲目「風のうた〜Northern Songs〜」は、逆境に立ち向かう歌詞が凛として聞く者を励ましてくれる。僕の中では、まるで人生の教師みたいな一曲だ。 [EOF]